【プロフィール】タカヒロ@社会福祉士【何かを伝える前に自分が楽しむこと】
こんにちは。タカヒロです。
『Social Good Blog』の運営をしています。
この記事では「タカヒロって誰?」について説明します。
僕のことを知ってもらい興味を持っていただけたら、
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もくじです(スキップできます)
では、説明していきます。
簡単な経歴
僕の経歴はざっとこんな感じです。
- 高校卒業後、全国展開している大手アパレルメーカーに就職
- バイヤーとしてマーケティングに携わり、顧客や企業の価値提供を学ぶ
- 同時にクラブDJとして毎週末午前様 ▶︎ イベント企画多数
- 友人に騙され、300万の借金を背負う ▶︎ 月10万円の生活 ▶︎ 約2年で完済
- 副店長として地元に戻る
- 祖母が認知症になり、介護者不在であることから、仕事と介護の二足の草鞋に
- 本社異動の人事を断り、約10年務めたアパレル会社を退職
- 福祉に興味を持っていたのと、人と話すことに苦を感じなかったので、福祉用具の営業へ
- 1年後、通信制の福祉大学へ入学し、社会人学生となる
- 4年後、晴れて社会福祉士として登録 ▶︎ 社会福祉士のキャリアスタート
ここまでで、18歳から32歳ぐらいです。
これでも簡単な経歴なので、書き出してみると我ながら濃いですね笑
アパレルでは色々学ばせてもらいました。
特に顧客に対する販売戦略だけでなく、企業としてのスタンスや社会的価値をどう提供できるか。このことが、のちの社会福祉士キャリアに影響を与えていると思います。
加えて、様々な業種の方と会っていたので、この時から「多職種連携」には違和感なく取り組めていたな、と振り返りました。
社会福祉士としてのキャリア
32歳で社会福祉士になりました。遅咲きですね。
社会福祉士のキャリアとしては、こんな感じです。
- 回復期病院 6年
- 介護老人保健施設 1年6ヶ月
- 地域包括支援センター 6ヶ月(2022年時点)
まず、回復期病院に就職できたのは、福祉用具営業のときに関わりがあったからです。たまたまソーシャルワーカーから声をかけてもらい、あっという間に就職することができました。やはりご縁というものは存在します。
医療ソーシャルワーカーになるなら「この病院」と決めていましたから。運よくその病院で社会福祉士のキャリアをスタートできたのは、僕の人生において本当に良かったと思えます。
回復期病院はとにかく修行の場
僕が配属されたのは病棟。入院対応は別の職員がしていたので、病棟配属のソーシャルワーカーは主に退院支援を任されます。
退院支援、本当に大変でした……。
脳卒中患者が約8割の病院で、病棟基準は「回復期リハビリテーション病棟の入院料1」。入院患者の7割を在宅復帰させなければならない。
また、実績指数(アウトカム)の観点から、早く状態回復する必要がありました。結果、入院日数が短くなるので、その分退院支援にかかれる時間も短くなります。書類、カンファレンス、IC同席など、毎日が慌ただしく過ぎていました。
ただ、そのような慌ただしい支援を、何かのカタチで知ってもらいたいと考えたんですね。今思えば「忙しいのに、よくそんな発想に至ったな」と感心しますが。
実践知を深めるのが楽しかった
所属していた病院は研究にも盛んに取り組んでいました。よって、日々の実践を、多くの方に知ってもらえるよう「深い考察」で振り返るようになりました。
僕なりの深い考察とは、論文に掲載されている実践方法があれば、実際にやってみたり、共通する複数の事例をカテゴリー分けして、支援のタイミングや方法などについて検討したり。
どれも楽しかったですね。実践知が高まっていく感覚もありました。全ての結果が客観的ではないにしても、自分が取り組んだ実践が可視化できる喜びは感慨深いです。
異動で地域福祉にさらなる興味が
そんな感じで、「実践 ⇄研究」をひたすら繰り返していました。なかなかのバイタリティです。その後、病棟配属5年ぐらいで地域リハ部門へ異動になりました。
地域リハでは、主に地域包括支援センターと「介護予防」「自立支援」をキーワードに協働しました。僕は病院(特にセラピスト)と包括または地域との橋渡し役が多かったです。
具体的には下記の通り。
- 相談窓口
- 会議や研修会などの企画・調整
- 回復期病院の広報活動(主に地域ケア推進会議での発表・報告)
- 退院患者が集まれる場の企画・運営
- 職員がボランティアに興味を持てるような啓発活動 など
ざっと書き出すと、こんな感じです。
地域リハでのソーシャルワーカーの役割は一見事務的な要素がありますが、地域包括支援センター(以下、包括)や地域住民との関わりで、いかに自分がアウトリーチ(地域に出向く支援)をしていなかったな、と痛感しました。
もっと「生活期」で仕事をしたいと思い始めたのが、この頃です。
介護老人保健施設へ転職
「生活期へ行ってみたいな…」と思っていた頃、福祉用具営業のときから懇意にしていた社会福祉士より連絡がありました。「一緒に働かないか」と。場所は介護老人保健施設(以下、老健)でした。
以前から包括へ興味を持っていた僕は、老健への転職をかなり迷いましたが、このように誘ってくれるのは何かの縁ですし、現に回復期病院に就職できたのも人との縁でした。この感覚は大事にしたいと思い、考えた末、老健へ転職することとしました。
『介護老人保健施設』と聞いて、どんな施設なのか知らない方もいると思うので、全国老人保健施設協会のリンクを貼っておきます。
このような経緯で老健でのキャリアがスタートしました。
最初は戸惑いが多かったですね。
- 電子カルテがない
- 車いすの利用者が多い
- リハビリが週2回しかない
- カンファレンスというより、ケアプランの読み合わせ
- そもそも家族が在宅復帰に消極的
挙げたらキリがないくらいです笑
でも、ここで腐ってたらダメ。まずは6ヶ月で算定要件を一つ上げることを目標にしました。
老健で取り組んだこと
いきなり算定要件(簡単に言うと、施設の報酬額を上げること)を上げるにはハードルが高い。要件を上げることは、業務量が増えたり、新しいことにチャレンジすることを指します。職員からの反発は容易に想像できました。
そこで、優先順位をつけて取り組んだのが下記の通り。
- 「在宅に帰してもいいよ」という家族を増やした
(家族の意向を吸い上げ) - 在宅復帰後の課題をセラピストに都度伝えた
(あくまでも一緒に考えるスタンス) - 在宅復帰に向けたフローシートを作成
(道標を示す) - 稼働率が下がることを施設長へ提言
(下がってもいいの?て感じで) - 回復期時代の人脈をフル活用して広報活動
(まずはここにタカヒロがいると周知) - 事務長とタッグを組みベッドコントロール
(責任は事務長へ) - 6ヶ月後、晴れて在宅強化型へ
ここまでは順調でしたが、強化型になってからがなかなか大変でした。
加算型へ逆戻り
要は「強化型の維持」が難しいですね。在宅復帰率を維持するには、退所者が一定数いるわけです。なのでベッドが空く。だから稼働率も上げないといけない。結果的に、出たり入ったりの繰り返しなわけです。
おまけに職員は忙しくなるわけで、それを軽減するためにICT導入を進めると、リテラシーの問題が出てくる。
当然、反発がありました。
それでも特別賞与などでインセンティブをつけてもらい、恩恵にあやかることで士気を維持する。いま思えば、付け焼き刃みたいな感じだったな、と思います。
1年後、とうとう強化型を維持できなくなり、加算型へ。このとき、とても悔しかったですね。そして責任を感じました。
どこかで職員をコントロールしようとしていたのかもしれません。その考えが、仇となって返ってきました。
加算型に戻ったことで僕がこの老健で働きく意義が見出せなくなりました。それにネゴシエーションなど、政治的な思考にも疲れていました。
事務長と何回も話し合った末、包括へ転職することを決めました。
地域包括支援センターへ転職
2021年包括へ転職しました。
こんなに早く転職するとは、全く思ってもいませんでしたね。
でも、持論ですが、自分の役割・成長・可能性などが別の職場にあれば、転職はアリだと思います。その分、今までのキャリアは大いに発揮できるはずですから。
包括に転職してからは、現時点(2022年2月)で6ヶ月ですが、下記の業務を行いました。
- 入職2週間で虐待対応
- 家族に対する介護負担軽減を目的とした勉強会開催
- 地域ケア推進会議の企画・運営
- 県ヘルスケア事業の査定会議での発表
- 所属包括へのICT導入における法人会議参加
これら、ほぼ一人で行なっています笑
ここまでできるのは、回復期病院と老健での経験が大いに活きています。相談援助技術はもちろんのこと、全体を俯瞰して見れる能力やポジショニングなど、無駄な経験は一切ありません。
2022年度から成年後見人として受任できるので、権利擁護の活動にも広げていきたいと思います。
とにかく包括は高齢者福祉の最前線で、相談内容は十人十色です。だから楽しい😌回復期病院や老健で磨いたスキルが、ようやく花開こうとしている、そんな充実感を抱いています。
社会福祉士会での取り組み
県社会福祉士会では、2021年から副会長に就任しました。同時に、基礎研修担当理事+講師もおこなっています。今まで組織のトップ層に就いたことはなく、予算や運営など、勉強することが多く人生の糧になっています。
基礎研修講師では毎回緊張しますが、社会福祉士としての成長と思い、頑張って続けています。
僕がこのポジションにいるにも、音声SNSの「clubhouse」がきっかけでした。同郷の3人で何気なく話しているときに「タカヒロさんが理事になればいい」と背中を押されたことは、今でも鮮明に覚えています。
とにかく人に恵まれているな、とつくづく思います。この関係性は大事にしていきます。
『Social Good Blog』で発信したいこと【人生を楽しむ】
ここまで長々と僕のキャリアを書いてきました。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
次に僕の人柄を簡単に説明します。
これは、「ドン・クリフトン」氏が開発した、177問の『ストレングス・ファインダー2.0』に答えた結果です。僕の強みがわかる診断結果となっています。ちなみに、診断結果は文章で出されるんですが、それをもとにマインドマップで可視化しました。
僕のストレングはこれ!
図では見にくいと思うので、下記をご覧ください。
- 分析思考:客観的で倫理的思考あり、要因分析好き
- 自我:人の期待を上回る、作意的な一面も
- 着想:アイデアマン、冒険心が強い
- 個別化:原因をとことん詰める、多様な考えの人をまとめるのが得意
- 親密性:人を観察、明確でオープンな人を好む
なんとも言えない結果ですが、僕はこんな人みたいです。気難しいところはないので、お気軽に話しかけてください笑
『Social Good Blog』で発信したいこと
僕は「社会福祉士って楽しいな」と思っています。
なぜなら色々な人に会えるから。似たようなケースはあっても、全て同じクライエントなんていません。それぞれ課題を抱えており、どう解決していくか、どう受け入れていくか、一緒に悩みながら考える過程が楽しいです。
やはり、人に興味があるんですね笑
ブログのコンセプト
「ブログを通して、福祉リテラシーの向上」
これです。
福祉リテラシーが上がることで、こんな効果があると考えます。
- 人を思いやれる
- いじめが減る
- 争いが減る
- 責めない、責められない
- 多様性の受け入れ
- 一つの原因に縛られない
- 譲り合い
- お互いさま
- 笑顔が増える
- 人生が楽しくなる
などなど、良いことづくしです。
もちろん、色々な意見があるのは承知の上ですが、そもそも「福祉マインド」とは「奉仕」ではなく、人が楽しく生きるヒントが山ほどあるんじゃないでしょうか。
僕は社会福祉士になって、この「福祉リテラシー」を多くの方が享受することで、人生が楽しくなると思っています。
そのためには、僕自身が人生を楽しくしなくてはならない。
日々の実践や社会福祉士会の活動に加え、ブログおよびSNSの発信を通して、少しでも僕の楽しさを感じていただき、「福祉って面白い」と思ってもらえるような行動をしていきます。
長くなりましたが、これが僕の自己紹介です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。